ルー大柴から紐解く日本語の謎
- 渡邉 定好
- 7月2日
- 読了時間: 4分
提示されたYouTubeの対談では、書籍「日本語は一人では生きていけない」の内容を巡り、日本語の歴史と言語学的な特徴について考察しています。特に、漢文訓読の成り立ちを、中国文化への対抗意識や日本語のアイデンティティ保持と関連付けて論じています。また、ルー大柴の言語表現が、英語を取り入れつつも日本人のアイデンティティを保つ「対抗英語化」であるという見解も示されています。さらに、明治期の知識人における漢字廃止論の背景には、日本語と漢字に対する複雑な愛憎があったこと、そして外来語の受容と日本語の変遷が、その時々の文化的なコンプレックスやアイデンティティと深く結びついていることが語られています。
日本語の歴史において、外国語の影響と文化的なアイデンティティ保持はどのように関係していますか?
日本語の歴史において、外国語の影響と文化的なアイデンティティの保持は、複雑かつ密接な関係にあります。外国語からの借用は積極的に行われつつも、同時に日本人としてのアイデンティティを保つための工夫や、自国の言語に対する**「愛憎」**とも言える感情が存在してきました。
具体的には、以下の点が挙げられます。
漢文の訓読と「対抗中国化」
中国から優れた古典が輸入され、多くの人々が漢文を読むようになりましたが、これがあまりに普及すると日本人としてのアイデンティティが揺らぐ可能性がありました。
そこで行われたのが漢文の「訓読(くんどく)」という読み方です。これは、中国語の語順(SVO)を日本語の語順(SOV)に直して読んだり、本来の中国語にはない日本語の助詞や助動詞(機能語)を補って読む方法です。
言語学者である伊藤秀先生の説では、この訓読は**「対抗中国化」、つまり中国語の影響に抵抗し、「これは日本語だ」**と感じながら漢文を読むことで日本人としてのアイデンティティを保つためのものだったと考えられています。機能語は言語変化の影響を受けにくいため、助詞などを日本語に保つことが、日本語の基盤を維持する上で重要だったと言えます。
ルー大柴氏の「対抗英語化」
現代の例として、ルー大柴氏の**「ルー語」**が漢文の訓読と同じ構造を持つと考察されています。
ルー大柴氏の世代には白人への憧れやアメリカへの志向があった中で、彼は英語を取り入れながらも、**「アイデンティティを英語話者に売り渡さない」**という強い気持ちを持っていたと解釈できます。
彼の言葉遣いは、内容語(名詞や動詞など)に英語を取り入れつつも、「ヤブからスティックに(薮から棒に)」の「から」のように日本語の機能語は残している点が特徴です。これは、**「対抗英語化」**であり、英語を借用しても日本人としてのアイデンティティを保つ行動であると推測されています。
日本語に対する「愛憎」
日本語の歴史には、自国の言葉を愛しながらも、一方で「劣っている」と感じる**「愛憎(あいぞう)」**が深く関わっています。
漢字廃止論や日本語廃止論が繰り返し持ち上がりました。例えば、文部大臣を務めた森有礼や小説家の志賀直哉らは、漢字が複雑であることや仮名遣いの不一致などを理由に、日本語の改革や他言語への切り替えを提唱しました。志賀直哉は、フランス語を理想的な言語として挙げるなど、根拠が弱いながらも過激な意見を述べていたことが指摘されています。
しかし、興味深いことに、漢字廃止を唱えた前島密がその論を漢字だらけの文章で書いたり、漢字を嫌った西周や福沢諭吉が、大量の西洋概念を漢字の熟語(漢語)で翻訳するなど、矛盾した行動が見られました。
この背景には、平安時代に確立された**「住み分け」があります。和歌などの情緒的な表現には「大和言葉」が、抽象概念や論理的な表現には「漢語」が適している**という認識が生まれ、明治時代になってもインテリ層は難しいことを考える際に自然と漢語に頼る癖がついていたと考えられます。
これは現代にも通じる現象で、新しい概念(例:「ソーシャルディスタンス」や「ビジュアルシンカー」)を表現する際に、大和言葉ではなく英語由来のカタカナ語を使用することが多いです。これは、当時の人々が漢字を借りたことと同様の行動であり、難しい概念には外来語がフィットするという意識が働いていると言えます。また、**「水族館」が「魚覗き」よりも「かっこいい」というように、言葉の「威信(プレステージ)」**も影響しています。
このように、日本語の歴史においては、外国語からの積極的な借用が行われる一方で、自国の言語の基盤を保ち、文化的なアイデンティティを維持するための独特な適応が見られます。それは時に矛盾をはらみながらも、言語と文化がダイナミックに交渉し合ってきた証拠と言えるでしょう。
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