享楽主義と帝王学: 世界を楽しむコツ
- 渡邉 定好
- 2月17日
- 読了時間: 4分
岡田斗司夫さんの快楽主義・享楽主義的価値観と帝王学の関連について、以下にまとめます。
岡田さんは、自身を快楽主義者、より正確には享楽主義者であると述べています。彼にとって世界は面白さや快楽に満ち溢れており、手の届く範囲の快楽に浸りたいと考えています。
手が届く快楽:誰にでも手が届く快楽や享楽があると考えており、お金や時間がないという言い訳は通用しないと主張します。お金持ちや時間のある人は、手間をかけることで快楽を追求するが、結局は皆、時間がないという点で同じだと述べています。
時間の使い方:時間は誰しもに与えられた有限のリソースであるため、どのように享楽のために分配するかが重要だと考えています。
つかめる快楽とつかめない快楽:世の中には、自分がつかめるもの(グリップ感があるもの)と、つかめないものがあると言います。
つかめない快楽の例として、人の真似をして何かをしても、自分には合わない、楽しめないものを挙げています。例えば、絵を描くことが得意でない人が、絵を描くことを趣味にしようとしても、楽しめない場合があります。
つかめる快楽の例として、プラモデルの塗装をすることで、他人が作ったプラモデルのありがたみが分かるようになったと述べています。自分が作れるからこそ、料理を食べた時に美味しさが分かるとも言っています。
快楽と罪悪感:快楽に浸ることに罪悪感を覚えることがあるため、その快楽を配信に活かすことでごまかしていると述べています。
YouTubeの活用:YouTubeを「風呂上がり動画」と呼び、実用書を読むのと同じ感覚で、面白そうなところだけをかいつまんで見ると言います。勉強や研究を外注しているような感覚で、YouTubeを見ることで劣等感を薄め、世の中の代わりに勉強や研究をしてくれた人に感謝する気持ちを持つと言います。
帝王学:岡田さんは、自身が考える帝王学とは、世界を楽しみを外注する場として捉え、自分はそれを受けるだけで良いと考えることだと述べています。楽しみは時間で支払うと考え、自分が楽しめない娯楽も多めに見てあげるというスタンスを持ちます。
クリエイターへの姿勢:クリエイターに対しては、楽しませてくれる人に感謝し、お金や時間を払い、良いものは褒めて皆に伝えるという考えを持っています。クリエイターは自分より格下だと思っており、楽しませてくれたことに対して、時間を与えることで報いるという感覚です。
快楽主義と罪悪感の克服:世の中には快楽が溢れているのに、それを楽しめないのは、快楽に浸ることに罪悪感があったり、自分より立派な人を見て劣等感を抱いたりするからだと分析しています。自分が楽しめないものも多めに見てあげることで、世の中を楽しく見れるようになると述べています。
岡田さんの享楽主義は、単なる快楽の追求ではなく、自己肯定感や他者への感謝、そして社会との調和を目指す、独自の帝王学と結びついていると言えます。
岡田さんが考える帝王学的な感覚とは?
岡田さんが考える帝王学的な感覚とは、以下の要素を含む考え方です。
楽しみの外注化:世界を、楽しみを外部に委託(外注)する場として捉える。世界には多くの楽しみがあるが、全てを自分で体験したり作り出したりすることは不可能であるため、他者から提供される楽しみを受け取るという考え方。
時間の支払い:楽しみを得る対価として、お金を支払うだけでなく、自分の時間を支払うという考え方。特に、無料で楽しめるものが多い現代において、貴重な自分の時間を使うことが、提供者への感謝の表現となる。
クリエイターへの姿勢:
楽しませてくれるクリエイターに対して感謝の念を持つ。
良質な作品に対しては、褒め、その良さを周囲に伝える。
クリエイターは自分よりも格下であると捉え、彼らの創造物を受け取ることで時間を与えるという感覚。
多角的な視点:自身が楽しめない娯楽(飲酒、スポーツ観戦、アイドル応援など)も、全否定せずに多めに見てあげるという寛容さ。
快楽主義との関連:快楽を追求する上で、罪悪感や劣等感を克服し、自己肯定感を高めるためのマインドセット。
要するに、岡田さんの帝王学的な感覚とは、世界を楽しみの供給源とみなし、感謝と時間をもってそれに応え、自身の快楽を最大化するための独自の哲学と言えます。
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